際本清香園茶舗

大阪

〜戦後から令和〜
親子で紡ぐ町のお茶屋さん

暑さが残る9月初旬に八尾商店街の「際本清香園茶舗」を訪ねた。
代表の山本民さんにお話を聞くためだ。


【創業から現在】
昭和20年に先代のご両親が創業されてもう75年になるが昔からその背中を見て商売を学んできたという。
当時の八尾商店街の賑わいは今の心斎橋商店街をしのぐほどだったと言い、お茶屋も大繁盛。
先代で父の際本宇三郎氏は寝る間も惜しんで朝から晩まで働いていたという。

そんな状況を一変させたのは1978年の都市開発に伴う「近鉄八尾駅の移動」だった。
当時の八尾駅は八尾商店街の目の前、それが300mほど東に移動したのだ。
これにより人の流れが大きく変わることとなった。

都市開発側からは次の二つの提案があった。
①駅近くの高架下の店舗枠に優先的に移転する
②駅前に新たに建設される西武百貨店へ移転
悩んだ末に出した答えは①。しかも単なる移転ではなく2号店を出すという前向きな選択だった。

だが、いくら駅前といえど本店と300mしか離れていないということで、馴染みのお客は本店に買いに来てしまい来客が増えない。
実は八尾商店街の役員で都市開発側との交渉窓口でもあった宇三郎氏が、他店が不利にならないようにと、『最も来客が見込めない奥まった立地』を自ら選んだことも来客が増えない要因だった。
結果、2店舗目の家賃・人件費だけがかさむことなり、数年で閉店となった。
現在は本店のみで営業している。

【際本清香園の強み】

長年のファンが多い、その理由は〝どこにも売っていないオリジナル〟のお茶を提供しているからだという。通称〝民ブレンド〟長年の得意先から様々な種類のお茶葉を仕入れ、季節に合わせて湿度等を考慮し、絶妙のバランスで自社でブレンドする。自慢の焙じ機や石臼ももちろん現役で、
民ブレンドに一役かっているのは言うまでもない。
そうしてできた「心のこもった美味しいお茶」が当社を支えている。

【今後の経営について】
民さんには3人の子供がいる。現在は次女の佳枝さんとお店を切り盛りしている。
将来について民さんはこう語る。
75年続けてこれたのは何よりお客様のお陰。そして両親が守ってきてくれたから。「私の代でお店を潰してはいけない」その一心で毎日やってきた。私も次の誕生日で70歳。事業承継のことも考えないといけない歳になっているのだと実感しているという。
民さんの表情からは娘の佳枝さんが「民ブレンド」と「際本清香園」の商いを守り続けることを願っているように感じられた。

【日本のお茶事情】
民さんは、若者がペットボトルのお茶を飲んでいることが気になるという。
ペットボトルのお茶は急須で入れたお茶と比べて約50%もの栄養素が失われているという。
お茶の沈殿物には沢山の栄養素が含まれているのだが、ペットボトルになると〝日持ち〟を優先させる為に沈殿物は取り除かれてしまう。
因みにブラジルでは今でもお茶はコップにお茶葉を入れて飲んでいる。
民さんは日本でも正しいお茶の味わい方が拡がることを願っている。

【最後に】
民さんには人生のモットーにしている言葉がある。
「みんな食べていかんなん」
これは、先代の経営者である父親の宇三郎さんが常に口にしていた言葉だ。何事も独り占めしてはいけない。自分だけが儲けようとせず、みんなで分ち合おうという意味だそうだ。
先代のそういう性格は、周りからは「お人好し」と言われることも多かったそうだ。
しかし、だからこそ今の「際本清香園」があるのだと私は感じている。
今日も民さんは
「みんな食べていかんなん」
という想いを胸にお茶をブレンドしている。

===================
○際本清香園茶舗(きわもとせいこうえんちゃほ)
昭和20年創業 戦時中に先代の奥様がお茶屋を始め、戦後 復員した際本 宇三郎さんと夫婦二人三脚でお店を切り盛りした。
昭和53年   近鉄八尾駅の移動
令和2年現在   娘の佳枝さんと親子2人で元気に切盛り中

○山本 民
昭和25年生まれ 3人姉弟の真ん中で、大学を卒業後から稼業を助け、
八尾の人々に世界に一つしかない〝民ブレンド〟を届けている

【お問い合わせ】
八尾市本町7-7-6 ファミリーロード商店街
TEL・FAX  072-972-3867
====================